プロ野球界を代表する投手として一時代を築いた桑田真澄さん。
しかし、その輝かしい野球人生の裏には、「野球だけでなく学問にも真剣に向き合ってきた努力家」としての一面が隠されています。
今回は、そんな桑田真澄さんの学歴・野球の実績・そして“超勉強家”と呼ばれる理由をまとめました。
桑田さんの人生から見えてくるのは、「本当の努力とは何か?」という普遍的なメッセージです。
桑田真澄さんは、1968年に大阪で生まれました。
少年時代から頭脳明晰で、学業成績も優秀でした。
小学生の頃から早稲田大学への進学を夢見ていたといいます。
その理由は、野球だけでなく勉学にも重きを置く早稲田の理念に共感したからだそうです。
また、桑田さんの祖父が早稲田大学の出身だったことも影響しているようで、次のように話しています。
祖父が早稲田大学の出身だったことから祖母が『都の西北』を唄ってくれました。祖母が唄うと「わせだわせだ」ではなく「わしぇだわしぇだ」(笑)。だから僕の中では「わしぇだ」なんです。そのようなこともあって中学生の時点で「早稲田で勉強をしたい」という夢ができました。
出典:早稲田ウィークリー
中学時代には野球部で活躍しながらも、常に学業との両立を意識していました。
その姿勢は後の人生にも一貫して現れることになります。
桑田真澄さんといえば、PL学園高校時代の活躍が有名です。
清原和博さんとともに「KKコンビ」として甲子園を沸かせました。
桑田さんは、高校卒業後の進路を次のように決めていたそうです。
「もしジャイアンツに指名されたらプロに行こう」「ジャイアンツが指名しなければ大学に行く」
出典:Number Web
その後、1986年に読売ジャイアンツに入団します。
プロ入り後も野球理論やトレーニング法を徹底的に学ぶ“研究肌”の選手として知られていました。
現役時代にはトレーニング科学、心理学、栄養学などにも関心を持っていたといいます。
書籍や専門家から学び続ける姿勢は、まさに「知の探究者」でした。
特にケガのリハビリ中には、自分の体の動きをノートに記録し、再発防止策を理論的に考えたという逸話も残っています。
野球選手でありながら“学者肌”と評されるのも納得です。
引退後、桑田真澄さんは多くの人を驚かせました。
なんと2005年、現役を引退した後に早稲田大学大学院スポーツ科学研究科に進学したのです。
ここでスポーツと教育の関係を研究し、修士課程を修了しました。
また、その後は東京大学大学院でも講義を受けるなど、学びの姿勢を止めませんでした。
さらに、野球解説やコーチングの場でも、常に「理論的に考える野球」を提唱しています。
勘や感覚に頼らず、データや科学をもとに分析する指導法は、多くの若手選手に影響を与えました。
学問の世界で磨いた知識を、野球という現場で生かしている点が、まさに桑田真澄さんの真骨頂です。
桑田真澄さんの人生を振り返ると、そこには常に「学び」がありました。
幼少期からの早稲田への憧れ、現役時代の自己分析、そして引退後の大学院進学。
どの場面にも共通するのは、「探求心と努力を惜しまない姿勢」です。
野球界での輝かしい実績はもちろん、知識を追求する姿勢も含めて、桑田真澄さんはまさに“知性派アスリート”の代表といえるでしょう。
その生き方は、これからの時代を生きる私たちにとっても、大きなヒントを与えてくれているのかもしれません。