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米倉涼子の生い立ちとバレエ人生!15年の修行が俳優としての原動力に?

人気ドラマ『ドクターX』の大門未知子役で知られる米倉涼子さん。

その凛とした佇まいと圧倒的な存在感で、多くの視聴者を魅了し続けていますよね。

しかし、そんな米倉さんにも意外な一面があったのです。

今回は、米倉涼子さんの幼少期からバレエ修行時代、そして俳優としての活躍に至るまでを詳しく見ていきましょう。

米倉涼子の幼少期 – 「根暗」だった意外な素顔

米倉涼子さんの幼少期についてみていきましょう。

1975年8月1日、神奈川県横浜市に生まれた米倉涼子さん。

名前の由来には、生まれた日が非常に暑かったことから「名前だけでも涼しく」と両親が「涼子」と名付けたというエピソードがあります。

米倉さんの幼少期は「根暗だった」と本人が語っています。

現在の活躍ぶりからはちょっと意外に思えてしまいます。

体が大きかったため、背の順ではいつも後ろの方に並ばされ、名前が「よねくら」で始まるため名前順でも最後の方に並ばれることが多く、目立つことが苦手だったそうです。

米倉さんは当時をこんな風に振り返っています。

「私、前に行くわ!っていうのが、とてもとてもできなくて。出来れば後ろから2番目位のグループに入ってやりたい(タイプ)」と、目立たないように過ごしていた

出典:exciteニュース

このような控えめな性格の裏で、幼い頃から芸術への情熱が芽生えていました。

そして、5歳の時に母親によってクラシックバレエを習い始めたことで、米倉さんの人生は大きく変わっていきます。

米倉涼子のバレエ人生 – 5歳から始まった15年の修行

米倉さんがバレエを始めたのは、母親の教育方針によるものでした。

母は娘の感性を伸ばそうと、5歳からクラシックバレエを習わせたのです。

小学3年生になると、米倉さんは牧阿佐美バレヱ団のジュニアスクールに通い始めました。

その後、AMスチューデンツに合格し、谷桃子バレエ団にも通ってコンクールへの出場を果たすなど、本格的なバレエダンサーを目指す道を歩み始めました。

谷桃子バレエ団は1949年(昭和24年)に創設されたとても歴史のあるバレエ団です。

小学6年生の頃には、コンクールに出場するまでに上達し、「放課後は遊んでいた時間より、バレエと付き合っている時間の方が長かった」と振り返っています。

15年間にわたるバレエの修行は、米倉さんにとって単なる習い事ではありませんでした。

バレエの世界では、トップを取るためにライバルたちと火花を散らすのが当たり前で、その環境の中で「何かを掴むためには人一倍頑張らないといけない」という考えが染みついていきました。

そして、米倉さんは、バレエを続けさせてくれた両親にとても感謝しているそうです。

米倉涼子の俳優としての原動力 – バレエ経験がもたらした影響

20歳でバレエをやめた後、米倉さんはモデルを経て俳優の道へと進みます。

バレエで培った経験は、米倉さんの俳優としてのキャリアに大きな影響を与えました。

「バレエをやってよかったと思うのは、努力は報われるということを実感できたことです」と米倉さんは語っています。

バレエを通じて「努力さえすれば、他人には勝てなくても、自分自身は変えることができる」という貴重な経験を積むことができました。

さらに、2008年のミュージカル「CHICAGO」での主演や、2012年のブロードウェイデビューにおいても、幼少期のバレエ経験が大きく貢献しています。

日本人俳優として、ブロードウェイでアジア系でないアメリカ人の役柄を演じたのは史上初の快挙でした。

私は、バレエをはじめ、努力しないと形にできないものを勉強してきたから、練習や稽古といったプロセスに時間をかけることは身にしみついているんですよね」と米倉さんは語っています。

バレエで培った身体表現力は、舞台やドラマでの演技にも活かされています。

特に、全身を使った表現や、細やかな感情の変化を体現する能力は、バレエ経験なしには得られなかったものでしょう。

また、バレエで鍛えた集中力と忍耐力は、長時間に及ぶ撮影や、何度も繰り返されるテイクにも耐えうる精神力の源となっています。

まとめ

米倉涼子さんの幼少期からのバレエ経験は、単なるスキルの習得にとどまらず、人生観や価値観を形成する重要な要素となりました。

バレエを通じて学んだ「努力の大切さ」「自分自身を変える力」「プライドを捨てる勇気」は、現在の俳優としての活動にも大きく反映されています。

バレエという厳しい世界で培われた精神力と表現力は、米倉さんをして「俳優としての表現力の源はバレエにある」と言わしめるまでに成長させ、日本のエンターテインメント界に輝かしい足跡を残す原動力となっているのです。

米倉涼子さんの生き方は、努力と挑戦の大切さを私たちに教えてくれます。

同時に、幼少期の経験が将来の成功に繋がる可能性を示唆しており、子どもたちの才能を育む重要性も感じさせます。

バレエという一つの分野での経験が、全く異なる俳優という職業で花開いた米倉さんの例は、人生における可能性の広がりを示しています。

どんな経験も無駄にはならず、いつか思わぬ形で活きてくる可能性があるのです。

米倉さんの今後の活躍にも、引き続き注目していきたいですね。

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