歌舞伎界の名門に生まれ、独自の道を切り開いてきた俳優・寺島しのぶさん。
その人生には、歌舞伎名家の娘としての宿命と、それを乗り越えるための葛藤、そして多彩な挑戦の軌跡が刻まれています。
今回は、寺島しのぶさんが語る自身の宿命と、それに立ち向かう姿勢に迫ります。
寺島しのぶが背負った歌舞伎名家の宿命
寺島しのぶさんが背負った宿命とはいったいなんでしょうか。
寺島しのぶさんは、歌舞伎俳優・尾上菊五郎さんを父に、女優・富司純子さんを母に持つ、まさに芸能界の名門に生まれました。
しかし、その華やかな環境とは裏腹に、寺島さんは幼い頃から重い宿命を背負っていました。
「歌舞伎役者にはなれない宿命を背負ってきた」と寺島さん自身が語るように、歌舞伎界の伝統では女性は歌舞伎役者になれないという明確な壁が存在していたのです。
5歳の時、弟・尾上菊之助さんが誕生したことで、寺島さんは更なる葛藤を経験します。
「子供ながらに、弟が生まれたその日から、ひゅって周りの目が(弟に向いた)」と寺島さんは振り返ります。
「男じゃないと祝福されなくて」という言葉からは、当時の寺島さんが感じていたやるせない思いが伝わってきます。
そして、寺島さんは2022年テレビ出演の際、「歌舞伎の舞台に立ちたかったですか?」と問われた際に、次のようにも告白しています。
「立ちたかったですね。5歳下の弟が立てて、私はなぜ観客として見なきゃいけないのかという」
出典:スポニチ
女に生まれた、それだけの理由で舞台に立てない。
その悔しさは計り知れません。
寺島しのぶが女優としての道を切り開いた葛藤と決意
寺島しのぶさんが抱いていた葛藤と決意についてみていきましょう。
歌舞伎役者になれない悔しさを抱えながら、寺島さんは自分の道を模索し始めます。
高校時代には、バンドを組んでボーカルを担当し、レベッカやプリンセス・プリンセスのコピーを歌うなど、歌手としての道も考えていました。
悔しい気持ちを歌舞伎以外のことに打ち込むことで、紛らわせていたのではないでしょうか。
しかし、大学生になり、同級生が就職活動を始めたときに、寺島さんは大きな決断をします。
「私には何もないな」という気づきから、真剣に女優を目指すことを決意し、20歳で文学座に入団したのです。
この決断には、父と舞台で共演した故・太地喜和子さんの後押しもありました。
太地喜和子さんから、次のような言葉をかけられたそうです。
「あんた、女優やりたいんじゃない?」と図星を突かれたという。太地さんはさらに、「だったら文学座、試験受けてみない?」
出典:スポニチ
寺島しのぶが舞台・映画・テレビで見せる多彩な挑戦
寺島しのぶさんの多彩な挑戦についてみていきましょう。
文学座での経験を積んだ寺島さんは、舞台女優として頭角を現し、その後、映画やテレビドラマへと活動の場を広げていきます。
舞台について寺島さんは、「観客にむき出しのライブ感」が魅力だと語ります。
「舞台の上では360度、頭からつま先まで観客にすべてをさらけ出します」という言葉からは、舞台に対する寺島さんの真摯な姿勢が伝わってきます。
映画デビューは30代に入ってからでしたが、寺島さんはこれを肯定的に捉えています。
「舞台での経験を十分に積んでからの映画界入りで本当に良かった」と語り、どのようなシーンでも全身全霊で演じる姿勢を貫いています。
テレビドラマでは、NHK朝の連続小説「純情きらり」での笛子役を演じたことで、その考え方が変わったと言います。
テレビの演技で求められる瞬発力の重要性を認識し、その影響力の大きさにも驚いたそうです。
まとめ
寺島しのぶさんは、歌舞伎名家に生まれた宿命と葛藤を抱えながらも、自らの道を切り開き、多彩な挑戦を続けてきました。
舞台、映画、テレビと、様々な分野で活躍する寺島さんの姿は、まさに「宿命を乗り越える挑戦の軌跡」そのものと言えるでしょう。
寺島さん自身が語るように、「血は芸を後押ししてくれる半面、邪魔になることもある」という複雑な思いを抱えながらも、常に前を向いて挑戦し続ける寺島しのぶさん。
これからも、寺島しのぶさんの新たな挑戦と成長に注目していきましょう!
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