榛葉賀津也は天性の「人たらし」?牛乳配達少年から国際派政治家への半生!

国民民主党の幹事長として注目を集める榛葉賀津也議員。

その独特の人柄と政治手腕が、メディアや政界で話題となっています。

今回は、榛葉議員の半生を振り返り、その「人たらし」と呼ばれる特性がどのように形成されたのかを探ります。

どうぞ最後までお付き合いください!

目次

榛葉賀津也が5歳から始めた牛乳配達、政治家の原点に

榛葉賀津也議員の生い立ちについてみていきましょう。

榛葉賀津也議員は1967年4月25日、静岡県菊川市(旧菊川町)に生まれました。

父・榛葉達男は元静岡県議会議員および菊川町長で、厳格な教育方針のもとで育ちました。

幼少期にはお茶農家の町で、戦争遺児の両親のもとで育ち、5歳から中学入学まで8年間、毎朝牛乳配達を続けた経験があります。

この体験を通じて地域の人々や商店主との交流、働くことの大切さを学び、政治家としての基盤となりました。

静岡県立掛川西高校では野球部に所属し、スポーツを通じてリーダーシップや協調性を養いました。

榛葉議員は高校の野球部時代は、スタメンの座は遠く、ムードメーカーとして3塁コーチャーが“指定席”だったと話しています。

ただ、この仲間を鼓舞する経験が、「人たらし」と称される原点となっているのかもしれません。

留学経験が育んだ榛葉賀津也の国際感覚と柔軟な外交力

榛葉賀津也議員には留学経験があります。

高校卒業後はアメリカ・オハイオ州のオタバイン大学政治学部・国際問題研究学部に進学し、在学中にイスラエルのテルアビブ大学、エルサレム・ヘブライ大学大学院で国際政治を学びました。

留学中にはレストランでアルバイトも経験し、自立心を育てたとされています。

この国際経験が、後の政治家としてのキャリアにおいて、柔軟な外交力と幅広い国際感覚を育む基礎となったのではないでしょうか。

また、イスラエルへの留学が榛葉議員に与えた影響は大きく、次のように話しています。

現地では同世代の若者が兵役に就き、命を落としていく姿を目の当たりにし、日本人として自分自身が何をすべきか自問自答すると同時に政治の重要性を肌で感じ、政治家になることを志したという。

出典:FNNプライムオンライン

榛葉賀津也が「人たらし」と呼ばれる独特のコミュニケーション術

榛葉議員は、天性の「人たらし」として知られています。

会見や演説では真剣な表情とユーモアを織り交ぜ、記者や聴衆との距離を縮めるのが特徴です。

対立的な質問にも頭ごなしに否定せず、ユーモアを交えて返答する姿がSNSで拡散されており、党派を超えて良好な人間関係を築いていると評されています。

公式プロフィールでも「対話を通じて問題を洗い出し、着実な政策で解決への道筋をつくる」とされ、現場主義と柔軟なコミュニケーション力が強調されています

榛葉賀津也の政界での活躍

榛葉賀津也議員の政界での活躍についてみていきましょう。

帰国後、1994年に菊川町議会議員に初当選。

その後、参議院議員として4期連続当選し、防衛副大臣や外務副大臣などを歴任。

現在は国民民主党幹事長として活動しています。

また、現在は「対決より解決」を掲げ、手取りを増やし国民生活を豊かにするため日々奔走しています。

家族は妻と一男二女、犬・ヤギ・猫と暮らし、動物好きとしても知られています。

また、落語や相撲観戦、プロレスなど多趣味な一面も持っています。

まとめ

榛葉賀津也議員の演説は、「対決より解決」を掲げ、現場の声を重視し、国民一人ひとりの生活者目線に立った政策実現を訴えるのが特徴です。

2025年参院選の出陣式や街頭演説では、与野党や各団体の立場を尊重しつつ、「野党の声は国民の声」「無関心や諦めが最大の敵」と述べ、政治への参加意識を呼びかける熱いメッセージを発信しています。

榛葉議員の「人たらし」としての特性と豊富な国際経験は、今後の日本政治において重要な役割を果たすことが期待されています

政界での更なる活躍と、国民の声を反映した政策実現に向けた取り組みに、注目が集まっています。

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