2025年9月、東京世界陸上競技選手権大会で村竹ラシッド選手(JAL)が男子110mハードルで5位入賞を果たしました。
12秒台の自己ベストを更新し、メダル獲得への自信を深めていましたが、結果は3位まであと0.06秒という僅差でした。
昨年のパリオリンピックに続く快挙ですが、メダル獲得まであと一歩及ばず、村竹選手は「人生でこんなに悔しい経験はない」と涙ながらに語りました。
世界の舞台で活躍する村竹選手の競技人生は、地元千葉県松戸市から始まりました。
今回は、村竹ラシッド選手の学歴とハードル競技を始めたきっかけについて、詳しく見ていきましょう。
村竹ラシッドの学歴:地元松戸から順天堂大学へ

村竹ラシッド選手の学歴は、地元千葉県松戸市から始まりました。
- 小学校:松戸市立相模台小学校
- 中学校:松戸市立第一中学校
- 高校:千葉県立松戸国際高等学校
- 大学:順天堂大学スポーツ健康科学部
村竹選手は地元で育ち、高校まで松戸で過ごした後、大学で東京へ進学しました。
2024年10月、母校訪問の際に「バスケットゴールや跳び箱、壁に飾られた絵が自分の小学生時代と変わらない」と懐かしむ様子が報告されており、地元への愛着が感じられます。
村竹ラシッドと陸上との出会い:小学5年生の決断
村竹ラシッド選手と陸上との出会いについてみていきましょう。
村竹選手が陸上競技を始めたのは小学5年生のときでした。
「足が速い方だったので、先生たちから『陸上をやらないか』と言われて」と、きっかけを語っています。
しかし、最初から積極的だったわけではありません。
「4年生から部活に入ることができたんですけど、放課後に遊ぶことができなくなるので、断っていたんです。でも5年生になったときに、気まぐれで『そこまで言うんだったら』と入ってみたら、案外楽しかった。」
この「気まぐれ」な決断が、後の世界的な選手への第一歩となったのです。
村竹ラシッドがハードルを選んだ理由:中学1年の夏の経験
ハードル競技を本格的に始めたのは中学1年生の夏でした。
「走ることもできるし、跳ぶこともできる。両方あるハードルへの興味は中1の頃から湧いていた」と村竹選手は振り返っています。
ハードルを選んだ理由には、いくつかのポイントがありました。
- 走る・跳ぶ両方の要素がある
- 競技人口が少ない
- 顧問の先生の勧め
特に競技人口の少なさに可能性を感じたようで、「もしかしたら100mや走幅跳より戦えるかもしれない」と考えたそうです。
興味深いのは、村竹選手がハードルの技術的な面白さにも言及していることです。
「ハードルを跳んで空中にいるときは、基本サボっているので(笑)。写真や映像を見てもらえば分かるんですけど、あまり力んでいるような顔はしてないと思います。一瞬ではあるけど、ちゃんと息を入れられる。」
0.01秒を競う厳しい世界を舞台にしながらも、楽しむ心を持って競技に取り組まれているのかもしれません。
まとめ:村竹ラシッドの軌跡と今後の展望
村竹ラシッド選手は、地元松戸市での教育を経て順天堂大学へ進学。小学5年生で陸上と出会い、中学1年生でハードル競技に魅了されました。
東京世界陸上での5位入賞は、村竹選手にとって大きな悔しさとなりましたが、この経験を糧に、さらなる高みを目指す決意を語っています。
「人生でこんなに悔しい経験はない。何年かかっても、この脚が許す限り、メダルを狙い続けたい」
この言葉には、挫折を乗り越えてさらに強くなろうとする村竹選手の決意が表れています。小学5年生の「気まぐれ」な決断から始まった村竹ラシッド選手の陸上人生は、まだまだ続きます。
メダル獲得への挑戦は、ここからが本番。今後の村竹ラシッド選手の活躍に、ますます期待が高まります!
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