芸人まつなみさんの異色な経歴が話題を呼んでいます。
自衛隊、看護師、モデル、そして芸人と、多彩なキャリアを歩んできたまつなみさんの人生には、驚きと感動がいっぱい。
今回は、まつなみさんの経歴に隠された真実と、3つの転機で見えてきた意外な素顔に迫ります。
まつなみさんの経歴は、一般的な芸人とは大きく異なります。
自衛隊→看護師→モデル→芸人という驚きの経歴変遷を辿ってきました。
その詳細を見ていきましょう。
三重大学医学部看護学科在学中、まつなみさんは予備自衛官補として活動していました。
大学の講義よりも滋賀県の大津駐屯地での訓練に熱中し、年間50日も参加するほどでした。
特に得意だった「第5ほふく」(完全に大の字に伏せて地面を這って進む)は、現在でも家で練習を続けているそうです。
大学卒業後、名古屋大学附属病院で消化器内科、血液内科に勤務しました。
重篤な患者さんと向き合う日々を「天職」と感じるほど充実していたといいます。
まつなみさんはこの当時のことをこんな風に振り返っています。
血液内科で血液の癌を専門にみていたので、症状の重い患者さんが多かったです。亡くなった方達のことは今も忘れられません。自衛隊もそうでしたが、「人の助けになりたい」という気持ちが強いので天職だったと思います。
出典:文春オンライン
「人の役に立ちたい」という気持ちが強い方なのでしょう。
「英語の練習になるかも」という軽い気持ちでマンハッタンの病院を受験し、即採用されました。
日本人どころかアジア系も自分以外いない環境で、給料は日本時代の2倍以上。
退職時には永住権取得を前提とした継続勤務を打診されるほど高評価でした。
そして、「ここでやれることはやり切った!」という気持ちを胸に日本へ帰国します。
まつなみさんの人生には、大きな転機が3つありました。
これらの転機を通じて、まつなみさんの意外な素顔が見えてきます。
子どもの頃から「戦地を自分の目で見て、貢献したい」という強い思いを持っていました。
第一志望の防衛医大は不合格でしたが、この経験が後の多様なキャリア形成の基礎となりました。
ニューヨークでの看護師経験は、の視野を大きく広げました。
「日本人は優しくて仕事が丁寧」と高く評価され、国際的な環境での自信を獲得しました。
最も重要な転機がこれです。
2019年11月の帰国後、外資系企業勤務と並行してモデル活動を開始。
しかし、モデルショーのランウェイで派手に転んでしまった瞬間、周りはドン引きしたものの、本人は「やりたかったのはコレだ!」と快感を覚えました。
この体験から「私は綺麗な服を着て見られるよりも、みんなを驚かせたり、笑わせたりしたいんだ」と自覚し、31歳でワタナベコメディスクールに入学、芸人デビューを果たしました。
芸人としての活動の裏側にある、まつなみさんの意外な一面をご紹介します。
外資系医療機器メーカーで営業として働きながら芸人活動を継続しています。
職場は芸人活動に理解があり、ライブの小道具を持参すると大笑いされるような和やかな環境だそうです。
上司は「まつなみが有名になれば会社の知名度も上がる」と応援してくれているとのこと。
代表的なネタは「脚立の女」で、OLの制服姿で脚立に登って漫談を行います。
過去には手作りの和式便器にまたがって漫談する衝撃的なネタも披露。
目標は森三中の大島さんのように「お尻を出したり、ブリーフ一丁で走り回る」芸人になることです。
まつなみさんは「やっと本当に自分のやりたいことを見つけられた」と語っており、これまでの豊富な人生経験が独自の芸風につながっています。
31歳と遅いスタートながら「絶対にやめない。何十年かかっても売れたい」という強い決意を持っています。
目標は、
まつなみさんは、現代の多様な働き方を体現する女性芸人として注目されています。
自衛隊、看護師、モデル、そして芸人と、異色の経歴を持つまつなみさん。
まつなみさんの今後の活躍に、ますます期待が高まりますね!