株主優待生活で知られる桐谷広人さんですが、実は元プロ棋士という顔を持っています。
今回は、桐谷広人さんの棋士としての経歴や実力、そして意外な一面を詳しく解説します。
まず、桐谷さんの経歴についてみていきましょう。
桐谷広人さんは1949年10月15日、広島県竹原市に生まれました。
将棋の世界に入ったのは比較的遅く、18歳で奨励会に入会しています。
プロ棋士になるまでの道のりは非常に厳しく、多くの若者たちの夢が途中で挫折します。
奨励会では、厳しい昇級・昇段基準があり、特に三段リーグは「関門」と呼ばれるほどの難関です。
実際、奨励会員の中でプロ棋士(四段)になれるのはわずか1〜2割程度と言われています。
桐谷さんは18歳で奨励会に入会し、25歳でプロデビューを果たしましたが、この7年間の努力と苦労は並大抵のものではなかったでしょう。
桐谷さんの昇段歴は以下の通りです。
桐谷さんは25歳でプロデビューを果たし、その後30年以上にわたってプロ棋士として活躍しました。
特筆すべきは、桐谷さんの師匠が伝説の天才棋士・升田幸三実力制第四代名人だったことです。
桐谷広人さんは現役時代、「コンピューター桐谷」という異名で呼ばれていました。
この異名の由来には、桐谷さんの驚くべき才能が関係しています。
桐谷さんは抜群の記憶力を持ち、過去の棋譜データを深く分析する能力に長けていました。
この能力を活かし、多くの優れた定跡書を執筆したことで、「コンピューター」のような正確さと分析力を持つ棋士として評価されたのです。
研究熱心な姿勢と豊富な棋譜知識は、対局中の読みの深さにも反映され、桐谷さんの強みとなりました。
桐谷広人さんの戦績についてみていきましょう。
桐谷広人さんの現役時代の通算成績は327勝483敗で、勝率は約40.4%でした。
タイトル獲得こそありませんでしたが、最高成績として第9期竜王戦(1996年度)で5組に昇級しています。
桐谷さんの棋風は以下のような特徴がありました。
「桐谷マッサージ戦術」とは、優勢になってもなお相手の攻撃の応接を継続する戦術を指します。
また、入玉(にゅうぎょく)が得意な棋士としても知られ、守備から逆転を狙う粘り強い棋風が特徴でした。
桐谷広人さんは、棋士時代に培った思考法を投資活動にも活かしています。
将棋と投資の類似点について、桐谷さんは次のように語っています。
「将棋は、相手の指す手に対する読みの深いほうが勝つ。株も同じ。円高やユーロ危機という局面で読みが深いと勝てる」
出典:FRIDAY
この発言から、桐谷さんが将棋で培った先読み力や局面判断力を、投資の世界でも発揮していることがわかります。
また、桐谷さんの抜群の記憶力は、株主優待の管理にも活かされています。
テレビ番組での発言によると、桐谷さんは数百社の株主優待券の有効期限をすべて把握しているそうです。
これは、かつて棋譜を記憶し分析していた能力が、別の形で発揮されているといえるでしょう。
さらに、桐谷さんの粘り強さも、棋士時代から引き継がれています。
株式投資で大きな損失を被った際も、諦めずに再起を図る姿勢は、将棋の対局で培った精神力の表れと言えるかもしれません。
桐谷広人さんの引退後の活動についてみていきましょう。
桐谷広人さんは2007年に現役を引退しましたが、棋士としての称号は継続しています。
日本将棋連盟を退会していないため、正式には「引退棋士」としての地位を保持しています。
引退後の桐谷さんは、将棋で培った分析力と記憶力を活かし、個人投資家として活躍しています。
特に「株主優待名人」として知られ、テレビ番組などでも活躍しています。
棋士としての桐谷さんの評価は以下のようにまとめられます。
桐谷広人さんの棋士としての経歴と実力を振り返ると、華々しい成績こそありませんでしたが、研究熱心で粘り強い実力派棋士であったことがわかります。
「コンピューター桐谷」の異名に表れるように、その分析力と記憶力は群を抜いており、現在の「株主優待名人」としての活躍にも、棋士時代に培った能力が活かされています。
プロ棋士として30年以上活躍し、引退後も棋士の称号を保持し続ける桐谷さん。
その多彩な経歴と才能は、将棋界のみならず、投資の世界でも光り続けています。